若き日の思い出

 初時雨の終電幸を乗せて去る      灯台

 高校の担任で文芸部の顧問だった恩師から、「幸」とは何ぞ!とからかわれた俳句である。
水呑み百姓の小倅ゆえに近くを通るバスは高くつくと云うことで、家から20分程歩き今は無き名鉄の鏡島線で徹明町・新岐阜を経由し各務原の学舎へ通っていた。20台前半の頃だったか?その車内に気になる女性が一人。
 相手も何か気にしている気配。何とか名前など確認できないものかと毎日考えていた。
 友人曰く、オレはあの子が気になる。あの子はどう思っているだろう。それが初恋だと・・・
 幸か不幸か、電車から降りる時定期券のネームがチラッと。
 終点からの乗車は知っていたので手紙を書いてみた。当時は今のように郵便番号も無く郵便物も少なかった為おおよその住所で先方に届く時代であった。暫くして綺麗な字で長い手紙を戴くことになる。ただし、手紙の内容は・・・おおよそでは筋が通っているが、所どころ勘違いし手探りで書いた様な内容だった。長い文章でないなら見過ごせたかもしれないが、自分とは縁のない内容に???。めでたく失恋と相成った。 一巻の終わり。直ちに破り捨てた。
卒業後は静岡で就職。菊川・金谷・静岡・沼津と10年を過ごした。
 
何時だったか定かではないが、帰省時岐阜駅(旧駅舎)の電話コーナーで偶然再会・・・否・みかけ、身が縮む思いが、そして顔の血の気が引く思いがしたことを覚えている。相手もジッとこちらを注視していた?。若き日の出来事が走馬灯のように去来する。でも・・・そのまま、行過ぎた。あの時声をかけていたら・・・とも思う。
 年を重ねると、そんな古き時代の出来事を思い出す。そのころの情報に寄れば高校教師だったこばやしひろし(東京在住の同氏と同姓同名)率いる劇団はぐるまと関係が有るような?
 郡上一揆を題材にした「郡上の立百姓」は名演のようであった。
 今回、偶然こばやしひろし氏は亡くなったが奥様が率いる劇団はぐるまの「龍の子太郎」の公演を見つけ行って見ようと思った。遠い昔に思いを馳せながら。
 時代は流れ、その頃の雰囲気は全く感じられなかった。まして古の面影を見ることも叶わなかった。