落葉が舞う

 思い出しても「凄く過酷な夏」は今や遠くに去って紅葉の便りがテレビを賑わす昨今、道路を走っていたら街路樹の落葉が風に舞っていた。
 季節の移ろいを感じ、やがて冬の足音が聞こえてくるのかと思う昨今である。
 処が、最近では落葉が飛んできて汚れるとか、樋に詰まって困るとか・・・・季節の移り変わりを感じるような感覚などまるで無いような発言を耳にすることが多くなった。これも合理主義のせいか? 驚くのは同世代が同じように発言することである。
 これも何でもコンクリートで固めればそれでいいとする古典的土木学者の発想に端を発しているのか?
 そういえば民主政権も「コンクリートから人へ」と良いこと言っていたが、今や昔元より心の無い政策が進められているのでは。
 季節感を味わう心は何時までも忘れたくない。心の余裕は何時までも保ちつけたい。
 たださへ心の余裕が無くなっていく昨今なるがゆえに。