気遣い・思いやり(何時も心がけていること)

 大学時代、ダイヤル電話に直面しどう対応していいか分からなかったことを思い出すと、現代は雲泥の感しきりである。思い起こせば県を退職し経済連に行ったころの営業はまだポケットベルだった。今は殆どの人が携帯を持ち、携帯パソコンの時代が来ようとしている。
 世の中便利にはなったが、暮らしが楽しくなったかといえば ? である。最近痛切に感ずるのは「気遣い・思いやりの心がことに少なくなったのでは?」と思う。
 就職して12年、初めてエレベーターのある職場に赴任した。職についた時上司の挨拶で「公僕・民への奉仕者」と言う言葉を強く教えられ、この言葉がエレベーター前での私の行動を支配した。折しもエレベーターガールが合理化の基に廃止された頃だったか?
 先ずは先に入ってボタンの前に立ち、ドアをオープンとし安全を確かめてドアを閉める。各階のボタンをコールに応じて押す。この動作はその後ズーと癖になった。つい最近まで。
 車の運転をする時絶えず後続の車のことを考え、特に右折する時はなるべく右により交差点中央で止め、後続が左側を通過しやすいようにしている。複数車線のある広い道は良いが一車線道りで手前で止める車が多く、長い渋滞を見るに着け思いやりの心の無さを痛感する。否手前で止まって右折を出す輩も。
 そういえば最近右左折シグナルを出さない車がやたらに目に付くようになった。高速を走れば自ずと車線変更でもウインカーを出す癖がつくと思うのだが? ものぐさ以外の何でもない。
 2車線道路で左折する際、外側から大回りして内側車線に割り込んでくる車も最近とみに目立つようになった。数え上げればキリがないか?

要は、「自分がやられていやな行為は人にはしないことがきずかいの要諦と考えている。」