ゆめ

 小作百姓の末っ子に生まれた私は何か手に職を付けないと・・・と思ったかどうかはもやっとしているが、勉強はそこそこ出来たような?
 しかし中学3年になって英語の先生に幻滅を感じ、おまけに学区外の教室に通う羽目になり、
ついサボり癖が付いてしまった。教室へ向かうが友に誘われるまま、それを突き抜け大川で一泳ぎして帰ってくる日々が続いた。担任からはお目玉を頂戴する始末。「これでは普通科には推薦できんぞ。」と、
 「良いです農業高校に行くから。」それ以来英語とは全くお付き合い出来なくなった。高校で大学への進学を希望したら、高校1年から「中学の英語」をおさらいしていた担当教師に「エエカナ?そんなこって!、大学なんて行けんぞ」と散々からかわれた事は今でもはっきり覚えている。
 縁有って大学合格、だが英語では苦労の連続であった。教科書は確か「ヘミングウエイの老人と海」だった。そう、最近翻訳本を改めて読破した。

 大学1年の時だったか、佐田啓二の「喜びも悲しみも幾年月」を観映し・・・おぼろげながら俺もこんな人生送るのかな?と。
 幸か不幸か国家公務員の採用候補者名簿には載る事はなく全国区とはおさらばとなった。今では3年になると就職活動が始まるそうだが、当時は4年の後半からと記憶している。専攻の教授が方々の関係筋に当たりをつけ、斡旋してくれていた。
 だが、一向に就職先が決まらず悶々とした日々を送っていた。あるとき教授から呼び出しが有り、某農薬会社に推薦したので準備しておくように云われた。しかし、受験の機会すら与えられずに終わった。当時は片親の学生が一目置かれていたような?・・・
 こうなったら自分で何とかしなければ・・・・、地方自治体の試験をクリアしようと時刻表を片手に西へ東へ。
 ある県では一次に合格、二次試験が翌日と有って・・・飛び込んだ宿がピンクのネオン輝く連れ込み宿だったことも。その甲斐もなく不合格でチョン。

 めでたく一試験場に奉職。論文を仕上げても英語のサマリーが書けず、その必要のない研究会等に投稿していた。英語のできる人と・・・・と思ったが。・・・今度は子供に期待を寄せたがいずれも文系志望で・・・。「夢は中々叶わず。」これが人生かも。最近観た映画の中で
「将来に自信が持てない。」と嘆く主人公に未来を信じて生きるよりしょうがないじゃないか。
まさに寂聴の「生ききる」と云うことか?